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1日1撮を始めて、1ヶ月。
案の定、モチベーションが底をつきかけていた。
休日の午後、窓から差し込む光は完璧だった。だが、私は家から出る気になれなかった。防湿庫にある OM-1 を手に取れば、何が撮れるか、どんな仕上がりになるか、なんとなくイメージができてしまう感覚に捕らわれていた。その「予測のつく正解」に、今の私は全く食指が動かなかったのだ。
結局、日をまたぐ直前までダラダラと過ごし、私はようやく玄関に立った。今日を「撮れなかった日」として雑に閉じるのは、プロとして、あるいは「1日1撮」をやると決めた者として、何かが許さなかった。
今回の調律ポイント
OM-1を封印して、G5 Xを掴む
私は OM-1 を防湿庫の奥へ押し込み、PowerShot G5 X を掴んだ。
仕事で使うわけではない。1型センサーの、古いコンデジ。「機材を変えれば、景色も変わる」そんな、使い古された小手先に頼ることに決めた。
足元はサンダル。格好なんてどうでもいい。
46歳の男が深夜、カメラを握って生活の延長線上にある路上を徘徊し始めた。
G5 X の操作は、驚くほど手に馴染んでいなかった。露出補正ダイヤルを回す感触、AFが迷う微かな振動。「あぁ、こいつはこんなに不自由だったか」という苛立ちが、逆に私の脳を少しずつ覚醒させていく。完成された自動操縦を降り、手動で操縦桿を握り直す感覚。
手に馴染んだ機材では「撮れてしまう」。だからこそ、思考が停止する。
この不自由なカメラは、「どう撮るか」を脳に強制的に問い直させる。
光が強ければ、影も深い。この交差点に立って、ようやく脳が動き始めた。
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オリオン座の三連星、だと思った
しばらく歩いて、ふと空を見上げた。
オリオン座の三連星らしき光が、そこにあった。「こんな場所でも、見えるものだな」そう思って、G5 X の貧弱な高感度でシャッターを切った。
だが、背面液晶を拡大して、私は鼻で笑った。
星ではない。街灯を反射した、白い丸い物体だ。電線を支えているのであろう、ただの無機質な物体。
星ではない。ただの留め具だ。だが、今の私にはこれで十分だった。
滑稽だ。だが、それでいいと思った。私は宇宙の神秘を撮りに来たのではない。1日1撮というルーチンを死守するために、見慣れたこの街で、白い物体を星と見間違えて喜ぶような、その程度の「視点の再開発」が必要だったのだ。
作品を撮るのをやめた夜
場所を変える必要はない。遠くへ行く必要もない。自分のカメラと、自分の構えを一度壊せば、半径500メートルの空白は、まだ撮るに値する。
帰ってから調べると、あの白い丸は「碍子(がいし)」というらしい。電線を支え、絶縁するための陶器の部品。知らなかった。
1日1撮を「雑に閉じない」ための、私なりの小手先の技術。それは、重厚なメイン機を捨て、サンダル履きで、碍子に騙される自分を面白がることだ。
今夜の収穫は、美しい1枚ではない。「なんだ、ただの碍子か」と地面に視線が戻った瞬間の、あの軽い絶望と、確かな手応えだ。
私は、この不自由なコンデジで、もう少しだけ1日1撮を繋いでみることに決めた。
今日の調律を支えた道具たち
OM-1という「正解」に飽きたとき、私を救ったのはG5 Xの不自由さだった。ズームできない(操作が思い出せない)。設定を忘れた。その「できない」の積み重ねが、視点を解放した。
今この感覚を新品で手に入れるなら、選択肢はこれしかない。単焦点という究極の不自由さが、作品意識を剥ぎ取ってくれる。
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完璧な道具は、時に牙を抜く。あえて「できないこと」を抱えるのが、私の1日1撮を延命させるルールだ。
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