カメラと

カメラと日常の覚書

【週末の全損】渋谷の写真展、腹痛で「行かない」と決めた15分。

※ 医療職種ではない個人の記録だ。体調不良時は迷わず専門医を頼ってほしい。

08:45、予定が崩れる

楽しみだった週末は、情けない理由であっけなく終わった。

渋谷ルデコの写真展。数ある展示の中には、リアルまたはSNSでつながる知人たちの作品も並んでいるだろう、自分もその現場に足を運んで、今の創作の立ち位置を確認するつもりだった。

だが、朝食のコーヒーを飲んだ直後、わき腹に鈍い痛みが走った。

「少し休めば行けるだろう」と、着替えかけたシャツを脱いで布団に入った。10分、30分、そして1時間。

痛みは引かない。期待が焦りに変わり、やがて「今日はもう無理だ」という諦めに変わる。じわじわと今日という日が手の中から消えていく感覚。

結局、私はバッグを置き、自宅の作業机の前で、この予定の「全損」をどう処理すべきか考え始めることにした。

戦略的に「弱音」を吐く

フリーランス。この立場だと「休む」のは敗北に近い。 もしこれが大切な仕事の現場なら、無理をしてでも薬を飲み、現場に立っていただろう。プロとして完遂すべき場面は確かにある。

でも、今日は「自分のための休日」だ。 ここで無理をして回復を遅らせれば、明日からの仕事に確実に響く。

だから、私は早めに「損切り」をすることにした。 誰に遠慮することなく「今日は無理だ」と判断し、活動を止める。それは逃げではなく、これからも仕事を続けていくための、私なりの「管理」のやり方だ。

この使い分けができてこそ、自分という人間を長く運用できるのだと、今は自分に言い聞かせている。

身体が止まった時の「雨宿り」のルール

医学的なことは専門医に任せるとして、崩壊した一日の「過ごし方」だけは自分で決めなければならない。私が実行した「雨宿り」のルールを書き留めておく。

1. 「行かない」を確定させる、3つの基準

予定のキャンセルで迷う時間は、体力を無駄に削る。私は以下の3段階で判断を区切る。

  • 「15分・3セット」の様子見:15分休んで、さらに15分。それでも痛みが引かなければ、その日の予定はすべて中止にする。迷う時間は「ノイズ」でしかない。
  • 「駅の階段」を想像する:「今、渋谷駅の階段を、あの重い荷物を持って登れるか?」と自問する。そこで足がすくむなら、それが身体の出した答えだ。
  • 「道具」を片付ける:中止を決めたら、カメラバッグをしまい、着替えを脱ぐ。この物理的な動作が、心に「今日は休みだ」という区切りをつけてくれる。

2. 自宅での過ごし方

外に行けない以上、自宅を回復のためだけの場所にする。

  • 視界を「半径1メートル」に絞る:SNSで他人の充実を見るのはやめて、布団の中から見える光や天井の模様を眺める。最小限の力で、自分を見つめ直す。
  • 「指先ひとつ」の片付けで、自分を許す:寝たままでもスマホでできる「1%の整理」――不要な写真の削除やメールチェック――だけはやる。この小さな「できた」があるだけで、「一日を無駄にした」という罪悪感が軽くなる。
  • 「痛みの観察」で落ち着く:「お腹が痛い」と怯えるのではなく、「今は右側が波のように痛むな」と他人事のように観察する。客観的に見ることで、痛みと自分の間に、わずかな隙間を作れる。

3. 受診を検討するタイミング

自分の手による「雨宿り」を切り上げ、プロの助けを借りる境界線。

  • 「6時間の停滞」:静かに休んでも6時間以上、痛みが変わらない、あるいは強くなる場合は自分の手に負えない。
  • 「赤い信号」を見逃さない:熱が出る、戻す、あるいは経験したことのない鋭い痛みを感じた瞬間。これは迷わず助けを呼ぶべき合図だ。
  • 「明日の朝」が描けない時:今この瞬間の痛み以上に、「明日の朝、ちゃんと出かけられるか?」という不安が消えない時。その夜のうちに受診を検討する。それは負けではなく、プロとして次の現場を守るための、一番賢い守り方だ。

結論:不完全な一日を「調整」として終わらせる

結局、一日中、布団の中で丸まっていた。 渋谷の写真展には行けなかったが、代わりに「ままならない自分」とどう折り合いをつけるかという、泥臭い操縦法を確認できた。

腹痛という出来事は、私に強制的な「停止」を強いた。 次に同じことが起きたとき、私は今日よりも少し冷静に諦めることができるだろう。それは故障ではなく、明日をより良く生きるための、必要な調整なのだから。

私は、この何ひとつ成し遂げられなかった日曜日を、「調整日」として受け入れることに決めた。