カメラと

カメラと日常の覚書

X halfを触った日。不自由の正体と、残った1枚のこと。

X halfで撮影。セピアトーン・縦位置。CP+会場のモデル。日付スタンプ'26 2 28。
これがその日に残った1枚。X halfで、CP+2026で、撮った。

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※本記事は個人の体験に基づいた情報提供です。

CP+2026、富士フイルムのブースは人で溢れていた。

アンケートに並んでいる人の列が、ブースの外まで伸びている。その脇をすり抜けて、試用機が並んだテーブルに近づいた。

X halfがそこにあった。

手に取った。思ったより小さい。思ったより軽い。

 「……あ、これは買っちゃう人の気持ちが、わかった。」

その感触は、5秒で来た。


今回の調律ポイント


「不自由の設計」に触れた

手に持った瞬間にわかることがある。

X halfのボディは縦に長い。横位置で構えると、どこか落ち着かない。縦に持つと、しっくりくる。設計がそう言っている。

 「縦以外を、難しくしてある。」

便宜の話ではない。ユーザーの習慣を、ハードウェアで塗り替えようとしている。スマートフォンで縦動画に慣れた身体が、抵抗なくそのフォーマットを受け入れる。

富士はここに賭けた。それが、手に持った5秒でわかった。


寄れなかった。覚えきれなかった。

FUJIFILM X halfの背面を手に持った状態。小型の液晶モニターが見える。
手の中に収まるサイズ。この軽さが、5秒で答えを出した。

試用機を持って、会場を少し歩いた。

単焦点レンズは寄れない。イベント会場では扱いにくかった。被写体との距離が思うように作れず、構図を諦める場面が続いた。

2枚1組で1セットになる「ハーフ撮影」の操作も、その場では覚えきれなかった。本来の面白さのひとつであるはずの機能が、今日の私には使えなかった。

これは批判ではない。

カメラには「慣れが必要な不自由」と「設計上の不自由」がある。X halfの「寄れなさ」と「2枚1組の操作」は後者だ。使い込むことで身体に馴染む類の不自由。今日の私には、その時間がなかっただけだ。


それでも、1枚は残った

フィルムシミュレーションを切り替えるレバーが、ボディ側面にある。

指でスライドさせると、PROVIA・ACROS・ETERNA……と切り替わる感触がある。デジタルカメラのメニュー画面で選ぶのではなく、指でダイレクトに触れて選ぶ。

その感触が、妙に気持ちよかった。

セピアに切り替えた。縦に構えた。シャッターを切った。


X halfで撮影。日付スタンプ'26 2 28のクロップ。
'26 2 28。この日ここにいた、という刻印だけが残る。

これが、その日に残った1枚だ。

セピア。縦位置。右下に日付スタンプ「'26 2 28」が焼き込まれている。スペックでも設定値でもなく、X halfが「その日この場所にあった」という事実だけが、ここに定着している。

一次情報にしか、本物はない。

寄れなくても。操作を覚えきれなくても。この1枚は、私がCP+でX halfを手にしたことの、消えない記録だ。


AL:「買う」ではなく「知る」を選んだ日

X halfを触った翌日も、私の手にはE-M10初代があった。

これは意地ではない。

X halfが「正解」のひとつであることは、あの5秒で確信した。富士が作った不自由は本物だ。いつか「慣れ」が追いつく日が来れば、またあのレバーを触りたいと思う。

今日の私には、まだその時間がない。

だから私は、E-M10の縦運用を続ける。機材が「ハーフ」を名乗るのではなく、撮り手が「ハーフとして振る舞う」精度を、もう少し上げてみる。

それが今の選択だ。


それでも私はE-M10を持って、今日も街を歩く。

X halfの「不自由」を体感した上で、それでも選ばないという選択をした。 選ばないことにも、理由がいる。その理由が今日ようやく言語化できた。

▍本日の調律セット

いつか慣れの追いついた日に。その日のための参照先として。

PENの名前を継いだ現行機。初代E-M10の精神を、今買えるかたちで。

完璧な機材はない。 「選ばない」という選択も、立派な調律だと思っている。


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