カメラと

カメラと日常の覚書

髪型が独創的で話が頭に入らない。美男だらけの逆ハーレム『鳳囚凰』8話

画面に映った瞬間、物語なんかより先に、その造形の「重心」に目が向いた。

美男美女が揃い、豪華な衣装が画面を飾る。本来ならそこに目を奪われるはずだが、どうにも収まりが悪い。主役の顔立ちや演技を追おうとしても、視界の端にある「物理的な違和感」がノイズとなって、思考のピントを狂わせてくる。

「何かが、決定的にズレている」

その正体を確認しようと画面を注視したとき、ドラマの筋書きは頭から消え、私の目は完全に観察者のそれになっていた。だが、その「ズレ」を追いかけるうちに、気づけばこの奇妙な造形美の虜になっている自分もいる。

1話から刺さっていた「左側への偏り」

ドラマ『鳳囚凰(ほうしゅうおう)』。

第1話からずっと、視界の片隅を異様な塊が占領している。主役の公主が歩くたび、彼女から見て左側に、もはや「顔一つ分」は外側に出っ張っている巨大な髪型。明らかにバランスが崩れている。

「 いや、これ左に行きすぎだろ。誰が支えてるんだよ。 」

世間がどう呼んでいるかは知らない。だが、日常的に「ふとした違和感」に気づくことを仕事の第一歩としている私には、それは「スネ夫ヘア」(命名)という名の巨大なノイズにしか見えなかった。

たまらず再生を止め、検索の海へ潜る。

高髻(こうけい)という言葉には辿り着くが、どれほど資料を漁っても、これほど重心を無視して横に突き出した造形は見当たらない。
なるほど、史実を超えたこの「歪み」こそが、この物語の正解なのか。
そう納得して8話分。ようやくこの歪みに慣れてきた、その矢先だった。

8話で頂点に達した「ロジックの飛躍」

今度はストーリーが、物理法則以上の暴走を始めた。

暗殺のために潜り込んでいた主人公が、皇后が「実は双子だった」と朦朧とした意識の中で呟いただけで、一瞬にして自らの宿命を確信してしまう。
柱の影から見守る彼女がもし私だったら、口から漏れるのは次のようなフレーズだろう。

「 え、私、皇族だったの? お母さん……?? 」

いや、普通は「もう一人似ている人がいるんだな」で終わる話だろう。
整合性の欠如を許さない私の内側の回路が、制作側の「ご都合主義」を冷ややかに見つめる。そこを接続する理屈などどこにもないのに、物語はそのまま猛スピードで突き進んでいく。

美男美女を揃えた設定も、髪型の重力無視も、柱の影で完結するロジック無視も。
第8話にしてすべてが重なり、違和感はピークに達した。

「 まあ、面白いからいいんだけどね。 」

現場での「正解」のすり合わせ

画面の中の「あり得ない重心」を眺めながら、ふと考える。

私から見れば「狂っている」ように見えても、作り手や演者にとっては、これこそが「美」であり「正解」なのかもしれない。自分の尺度だけで、他人の引いた線を否定し切ることはできないのだ。

最近の子たちの衣装や髪型も、これまで経験してきた「正解」とはずいぶん違う場所に着地していることが増えた。
私の目に映る違和感は、もしかすると、新しい美意識を捉えきれていないだけかもしれない。
だからこそ、現場では「何かがおかしい」と感じた時ほど、やんわりと声に出して確認するようにしている。自分の経験を押し付けるのではなく、お互いが今見ているものをすり合わせる作業だ。

大概はそのままでいいと言われるし、時として「やっぱりイメージと違った」と取り直しになることもある。どちらに転んでも、言葉を交わしたという事実が、結果的に作品を安定させてくれる。

不完全な物語を笑いながら、徹底的に疑い、そしてその背景にある「誰かの正義」をも楽しむ。
この思考の往復が、明日、目の前の対象を切り取る際の精度を一段階引き上げてくれる。

「なんだこれ」と毒づきながら、いつの間にか目が離せなくなっている。
さあ、この不思議な世界の続きを見に行こうか。